2009年10月29日

第一幸福丸

唐津市鎮西町の漁船第一幸福丸の捜査で、28日、4日ぶりに3人の乗組員の方が奇跡的に助かりました。
本当に良かったですね。

乗組員の1人の方は、海上保安庁の方に助けられて、映画の「海猿」を思い出したといわれたそうです。
海上保安庁も良くやった。なにより助かった方の生命力凄すぎです。
海の男の強さに感服いたします。

一方、鎮西町出身の牧山船長は、28日午前漂流する救命いかだで見つかりましたが、午後に死亡が確認されたとのこと。
本当に残念です。

~以下、佐賀新聞ニュースに牧山船長の記事がありましたので紹介します~


牧山船長 新船建造の計画も
 「子どものころからずっと同じ。親分肌で面倒見がよかった」―。
故郷の唐津市馬渡島から遠く離れた海原で帰らぬ人となった船長・牧山新吾さんの幼稚園時代からの友人、金井田一幸さん(40)=大阪府枚方市=は涙をこらえ、牧山さんの人柄をしのんだ。

 牧山さんは5人きょうだいの長男。
中学時代はバレーボールに打ち込み、運動会では応援団長だった。
佐賀中央工業高(現・北陵高)を卒業後、玄海地区では数少ないキンメダイのはえ縄漁を営む父政彦さんの背中を追って漁師に。約10年前、船を引き継ぎ、船長になった。
最初は鹿児島県沖などで操業していたが、3年ほど前、好漁場を求めて静岡県下田市に拠点を移した。

 漁は順調で、将来に夢を膨らませていた。
鎮西町漁協の関係者には「船を大きくしたい」と相談。消息を絶つ直前の船舶電話でも「3千万から7千万円かかるが、新船をつくりたい」と金井田さんに前向きに語っていたという。

 家族にとっても強く、頼りになる存在だった。
息子で高校3年の竜太郎さんは5年前、佐賀新聞の「うちの家族」欄に、父への思いをこう寄せている。

「お父さんは船長です。キンメダイをいっぱいとってきます。寒さにもたえて、とてもすごいなぁと思います」
「敵は冬と台風です」

 新吾さんは大しけの海で、最後まで船のかじを握り続けた。

牧山船長のご冥福をお祈りいたします。


まだ他の乗組員4人の方の行方は分かっていません。
海上保安庁は引き続き、付近の海域を捜索しています。
見つかることをお祈ります。

 


三芳薬品HP


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